​The Taste Of Emotion

2019-

情動の匂い

 子供の頃、我が家では犬を飼っていたのだが、両親の仕事が忙しくて犬の世話をする時間が なく、近隣にも迷惑をかけていたので、半年ぐらいで他の人に譲ってしまった。ペットを飼っ ては手放して、再び飼っては手放してと、記憶ではこれまでに全部で 10 匹のペットとの出会 いと別れを経験したことになる。私はそれを特に悲しい出来事とは思わなかった。いずれまた 新しいペットを飼うことになるのだろうと、当たり前のように考えていた。

 人間にとって、動物は一体どんな存在なのか?命か?物か?それとも自分自身を満足させて くれる何かなのか?

ネット上でよく見かけるのは、動物が人間の様な仕草をしたときのコンテンツだ。それを可 愛いと思ったり、面白いと思ったりする。私たちは動物を人間に例える。動物も人間と同じで はないかと考えてみる。

 初めて行った動物園で人々は動物と対面すると、無意識に可愛いと口に出してしまう。人は 動物を見る時、いったい何を考えているのだろう?

 昔からずっと、私は動物というものは毛皮の感触だと思っていた。しかし、動物園に入った 瞬間、様々な匂いに包まれる。その時、動物は匂いだと気がついた。人間が香水をつけること で自分を特別なものとするように、動物も匂いで縄張りや種別を嗅ぎ分けている。

 感覚の代表的なものは匂いだから、動物を見ると言うより、自分の主観的想像の中にある「憶 断」を見ることになる。私は動物を見ると、その動物に似た雰囲気や匂いを思い浮かべること ができた。

 私たちにとって、現実の世界は客観的というより、アーカイブや博物館のように思える。眼 で見た物事と嗅いだ物事を同時に感じながら感情におき替える。私たちは、脳内の自分独自の 想像世界の中で生きている。自分の身の周りの世界と、その中にいる自分という意識経験は、 ある意味、制御された幻覚であり、それは生きた身体があってこそ、生きた身体を通じ、生き た身体が故に、生じるということだ。

 固い頭蓋骨に閉じ込められ、外の世界で何が起きているのかを理解しようとしている私たち の脳。生々しい肉体から物へと置き換えると、動物を擬人化するのではなく、物として扱うこ とができた。動物自身はもう必要ないのかもしれない。

        人们在面对动物时下意识的会说出口一些形容词,也许因为他们的皮毛很柔软或是牙齿很锋利。当看动物时我们到底在思考什么?

小的时候家里养过狗。父母因为工作忙没有时间照顾且会给邻居添麻烦,最多半年就会把狗送给别人。养狗、送人,再养一只、再送人。记忆中至今养过不下十只狗。可是每次分别的时候都不觉得这是一件悲伤的事情,因为不久的以后一定会再拥有一只新的宠物。

        在网络上也经常看到一些动物做出人类举动的视频,我们把动物比作人类,难道动物跟人类是一样的吗?

        对于人类来说,动物到底是怎样的一种存在?生命,物品,还是只是满足自我需求。

        以前一直以为动物是皮毛的触感,第一次进到动物园的时候我被扑面而来的气味所包围。我才意识到动物其实是一种气味,就像人会喷香水选择属于自己的味道,动物也用味道来区分种类划分领地。

        味道也是一种代表感觉的象征。与其说我们在看动物,不如说是在看「看到动物时所激发出的脑内的自我想象出的臆断」。看到动物,与这个动物相似的氛围就在脑海中浮现出来。

        我并不旨在讨论动物与人类的关系,两者既是共存有彼此独立存在。比起每日客观的生活空间,世界更像是一个巨大的资料馆,所目及之物、嗅到的气味都会转换为一种情感。我们便生活在了自己独特的脑内系统当中。身边的世界,生活在这个世界中的我们的生活经验,都会触发我们的幻想。

        在这个坚硬的脑内系统里,我们试图理解外界外面的世界发生了什么。将每一个鲜活的生命转换成一个符号,这不是动物的拟人化,实则是一种物化行为。

        动物本身也许不再被需要,实现了人间中心主义。

 

動物園

東京都恩賜上野動物園

東京都井の頭自然文化園

東京都立多摩動物公園

横浜動物園

夢見ヶ崎動物公園

伊豆シャボテン動物公園

京都市動物園

東山動植物園

野毛山動物園